卒業50周年記念行事顛末記  

 団塊世代一期生として、昭和41年に卒業した我ら「よいよい会」の仲間達、久し振りに大勢で

集まることができました。

 前回の卒業45周年は、春の京都ツアーでしたが、今回は故郷の福岡で記念行事を共に楽しむ

ことができました。 

 この盛りだくさんのイベントを企画・運営してくれた幹事の皆さんの一年以上にもわたる奮闘のお蔭で

「青春の思い出」を作ることができたことはまさに感謝・感謝です。


 それでは、ハプニングも数多くあった「てんこ盛り50周年記念行事」を報告いたします。

第一弾は、母校での同期生による記念講演。

 一番バッターは、伊地知君の「東日本大震災の体験」。

あの地震の時、仙台近郊で津波の被害に遭った体験談を淡々と話してくれました。印象に残ったのは

「電気・ガス・水道のない生活を一日でも送ってみることが備えにつながる」という不自由な生活を経験

した人でなければ話せない一言です。

 二番バッターは、大阪梅田にそびえ立つ「梅田スカイビル」の共同設計者である馬渡君。空中ブリッジを

どう持ち上げるかの工夫話には現場の血の滲むような苦労が伝わってきました。

 三番バッターは志賀君の「元寇で鎌倉武士は如何に勇戦したか」の講話。

現役の高校校長だけあって、大教室の隅々にまで通る大声とその迫力には脱帽です。高校時代、生徒会で

活躍していた彼の面目躍如の舞台でした。

 卒業後50年も過ぎると「その道のプロ」がたくさんいるんだ、ということを改めて実感します。


第二弾は、ソラリア西鉄ホテルでの記念パーティー。

「ソラリアってどこにあるとや」の質問に「昔のスポーツセンターの所たい」の一言で全員納得。我々の時代

には大相撲九州場所が開かれていたのでよく知っています。なつかしいなあ、鏡里・栃錦・若乃花・・・

 広めの会場でしたが、テーブル席は175名で満杯、サービスをしてくれたホテルの従業員の皆さんも

さぞかし大変だったことでしょう。

 生徒会長を務め、よいよい会のリーダーでもある渡邉君の開会の挨拶。

それに続き武藤和尚(同期生)の号令のもと物故者(49名)への黙祷を行いました。来年には古希を迎える

我々、いろいろな思いが胸をよぎります。

 アトラクションとして、高校時代講堂で演奏をしたメンバーによるライブ演奏。ベンチャーズ世代の我々にとって

なつかしいサウンドです。

バンド名はNYK(ニューヤングナイツ)、関東地区で今も元気に活動しています。


第三弾は、「英彦山、秋月バスツアー」(60名参加)。

 車窓から紅葉を愛でながら手には缶ビール、まさに昔の温泉旅行そのままの楽しい時間でした。ただ、紅葉

シーズンのため、英彦山周辺の道路は大混雑、つづら折りの急カーブではバスがすれ違うのが困難で運転手

さんも大焦り。しかしそこはさすがに機転が利く我らの仲間、「臨時添乗員代理」を買って出て、手信号よろしく

「オーライ・オーライ」と渋滞を上手く捌いて無事切り抜けました。 

車を運転していた他の観光客の皆さんは多分英彦山神社の関係者だと思ったことでしょう。

 ホテルは原鶴温泉小野屋、宴会場・二次会でいつも通りゆっくり・たっぷりの楽しいひと時を味わうことができました。


第四弾は、「白黒ばはっきりつけようぜ組:ゴルフ」(24名)と

「年をとったらやっぱりお寺参りですたい組」(23名)の二手に別れてのツアーになりました。

 ただ、残念ながらこの日は雨模様、ゴルフ組は半数ぐらいが無念のリタイアとなったようです。

「お寺組」はバスツアーですから、少々の雨にはへこたれません。国東半島に向けてバスは快調に走って行きます。

 杵築の城下町はしっとりと落ち着いた趣でなんとなく「私の城下町」を唄ってみたくなる風情でした。家老屋敷では、

「風呂敷」「へりくだる」等の言葉の由来を教えてもらったりで教養講座に参加した気分です。人生新しいことを学ぶ

ことはほんなこつ面白かですねえ。

 富貴寺・両子寺を参拝していよいよ旅も終わりの時間です。

途中、濃霧による高速道路閉鎖等がありましたが、その日のうちに東京に帰る予定の仲間も、無事飛行機に乗ることが

でき、行事もそろそろ大団円です。おつかれさま パチッ・パチッ・パチッ・・・

それにしても、これだけの行事を企画・運営した福岡地区の仲間の努力には頭が下がります。ありがとうございました。

                                                            by 渡辺耕士

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